わたしの好きが詰まった最強で最高な関西Jr.の時代がひとつ終わったお話

 

 


好きな人がステージにいてくれること、好きな人がいつまでもアイドルでいてくれること。日々の中で忘れてしまいがちだけれども、当たり前のようで、実は、全く当たり前なんかじゃなかった。それを体感した4月11日。彼の指先まで繊細なダンスも、彼から綴られる温かくて優しい言葉も、才能に溢れたアーティスティックな一面も、透き通って綺麗な歌声も大好きで、特にダンスを極める姿は、いち“アイドル”としてではなく、“ひとりの人間”として尊敬している。「好きこそ物の上手なれ」ということわざがあるように、好きなものをとことん追求し、励み、自分のためではなく、関西ジュニアのために海外に留学する姿勢がたまらなく大好きだ。本当は、伝えたいことがたくさんあったんだよ。あなたの為に地道に集めたレターセットも、数回しか使えなかった。もっとお手紙で気持ちを伝えたらよかった。寂しくて寂しくて、たまらないよ。他の人が純粋に「好き」という言葉を発せられるのが羨ましくてたまらないのに、わたしの行き場をなくした「好き」の気持ちが、どんどん日に日に積もっていってしんどいよ。まだ、素直に受け止めきれないよ。物分りの悪いファンで本当にごめんなさい。

 

先輩がバックにいるユニットがただただ羨ましかった。あんなにファンもタレントも一丸となって「公式化しような!」って言ってた2015年と、グループ乱立時代の2019年で違うものってなんなんだろうって、ずーっと考えてた。でも、わたしは馬鹿だから「後ろにいる先輩の数」しか思いつかなかった。もし、2015年の勢いが2019年にあったら、公式化されてたのかなぁ?もし、先輩があの頃に本腰を入れて手を掛けてくれたら、公式化されてたのかな?って答えの出ない問題ばかりが思い浮かんでは消えていくんだ。みんなが「ユニットに入れてよかった。ここまで諦めないでくれてよかった。」って言うたびに、わたしの好きな人が、好きでたまらなかった人たちが「諦めた」と言われているみたいで辛かったし、悔しかった。憎くて、恨めしかった。でも、これも、ただただ斜に見ることしかできないわたしの考え方が間違っている。そんなことは最初から分かっている。それでも、やりきれない気持ちが渦巻いて飲み込まれそうなんだよ。

 

 

まとくん、寂しいよ。
寂しくて寂しくてたまらないよ。

 

 

 

 

 

そしてまたひとつ、青春時代を色鮮やかにしてくれた、大好きで最強で最高な関西Jr.の時代が終わった。

 

その道中は苦しくて険しい道ばかりだったけど、そんな中でも輝き続ける彼らは希望に満ち溢れていた。「焼け野原」だと言われていた2015年だったけれど、着々と関西ジュニアが進んでいく姿は全く焼け野原なんかじゃなかったよ。安定感のあるパフォーマンスで関西Jr.をずっと支えていた8人。そして、ギャガーも居れば、ボクシングで名を轟かせた子もいて、勉強ができる子もいれば、アクロバットがすごい子もいた。“十人十色”という言葉がぴったりなキャラクターだったのに、ひとたび踊れば一瞬で顔を変える。人を惹きつけて魅了する。タケノコ派かキノコ派かで競い合い、被り物も被る。全力でパフォーマンスを披露し、全力でふざけて、全力でファンを楽しませてくれる、そんな7人組もいた。間違いなく最強で最高だった。常に流動する形態の中でも、わたしの中ではピッタリと互いのピースがはまり合って完成する、そんなグループたちだったんだよ。それこそ2015のビグゲではメインと8人にがっついて踊る姿もあって、お兄さんと一緒にバク転だってした。「最低のこの状況を今壊したい」彼らなら間違いなく壊していけると思った。

 

2015夏の舞台を目の当たりにした私は、随所で活躍する彼達に新しい時代が始まるワクワク感でいっぱいだった。しかし、1年が経つごとに一人、またひとりと進む道が分かれ、いつの間にかその名を口にするのもタブーになっていた。2017年の夏からは所謂「松竹組」と「バック組」に分けられた。わたしが好きだった「バック組」は雑誌も出ない、ラジオも出ない、松竹にも立たせてもらえない、そんな日々の始まりだった。しかし、そんな中で僅かな希望が見えることもあった。先輩のツアーにバックでついた夏、先輩のご好意でドームのモニターにFunky8」「DK組」の文字が掲げられた。嘘みたいなホントの話だった。ただただ嬉しかった。口にすることさえタブーである空気が漂っている中で、本人達から、先輩を通してでも発信してもらえることがなによりもたまらなく嬉しかった。きっと事務所にも届いたと思っていたよ。Jr.コーナーは映像として残らなかったけれど、写真に残っているのが救いだった。あの夏の、彼らの紛れもない事実が残ったこと、とにかく本当に嬉しかった。



激動の2018年が始まった。年始のあけおめコンサートは「最悪」と言っていいほどだった。所謂「松竹組」がステージの上で、「バック組」がステージの後ろのセット上。それでいて、バック組はハンドマイクもヘッドマイクも無い。DK組は誰一人としておらず、Funky8もバラバラで、扱いの差にただただ憤りを感じた。春と夏も松竹には立たず10月になった。そんな時にお世話になった先輩が関西Jr.の公演に手を掛けてくれた。嬉しかった。普段は先輩のバックしか出られない子たちが、主役として出られる機会があったから。そんな中で「なにわ男子」が結成された。所謂「松竹組」の中の7人だった。その中には大好きな「Funky8」の2人がいた。遂にこんな日が来てしまったのか....と思ったが、それまでの推されようと彼らの実力や実績を見れば、「そうだろうなぁ」と納得してしまうほどだった。のちにバーチャルジャニーズの第一弾を務める2人になる訳なんだもん。凄いよね。2018年を終え、2019年1発目のあけおめコンサート。2018年よりも最高だった。セット上からステージ見下ろす構図ではなかったし、衣装も各演目ごとに用意されていた。Funky8での演目が難しくなった時に、新たに2人のメンバーと曲を披露した。その2人はそれまで彼らと同じ時間 もしくはそれ以上そこに在籍し、それまでのコンサートではソロ曲を任される程の人たちだった。同じ時間を歩んできた同じ年代の8人。最初と形は違えど、綺麗でスッと型にはまるような感覚を覚えたばかりだった。あぁやっとここからだ...と思った矢先、そんな2人が関西ジュニアを卒業した。1人は東京ジュニアへ、もう1人は役者として新たな門出を迎えた。そして、「Lil かんさい・Aぇ! group」が結成された。関西Jr.にユニットができた。しかも3つも。その中にはもちろんFunky8やDK組の子もいた。やっと関西ジュニアに光を当てて貰えるんだな、と思うと同時に、これで本当にわたしの希望の道が絶たれてしまった、と痛感させられた。でも、まだアイドルを続けてくれるだけ良かった。そう信じていた。

 

 

2019年3月31日 春松竹の千秋楽、Funky8が出演者の7人で横並びに舞台に立ったと聞いた。涙が溢れた。なぜなら関西ジュニアのファンにとって春松竹の千秋楽は特別な意味を持つことが多い。春は出会いの季節でもあるが、別れの季節でもある。4月から新たな旅立ちを迎える人をみんなで見送ってあげる。その人が主役になるのが千秋楽だった。そんな日々を過ごし、冒頭の4月11日を迎えた。徐々に前を向いて行こうとしていた時に迎えた5月2日。「DK組」と言われていた7人の中で、そこに在籍していたとされる子たちが次々とSNSを始めた。SNSを始めるということは事務所から卒業したという事。

 

 

 

 

わたしの好きだった時代が、

またひとつ終わってしまった。 

 

 

 

 

もう、わたしが関西にこだわり続ける理由が全てなくなってしまったような感じがした。あの時代が大好きだった。がむしゃらに踊り、魅了し、全てを楽しませてくれる彼らがいた時代。最強で最高な時代。あぁ、本当に楽しかった、と思える時代。移ろいゆく景色の中で、何にも変えられない「彼らの時代」が確かにそこにあった。その時代を共に過ごしていけたこと、きっといつまでも宝物です。で最高な時代を作ってくれてありがとう。青春をジャニーズに注いでくれてありがとう。幸せをたくさん見せてくれてありがとう。

 

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関西ジュニアのファンから卒業します。

約10年間、素敵な想い出をありがとう。

数え切れないほどの想い出をありがとう。